この記事でわかること
- 黒船から軍港へ。開国173年の横須賀
- 数秘術の鑑定。「YOKOSUKA」に刻まれた開拓者の数
- 干支占いの鑑定。六十年ごとに巡る「癸丑」
2026年9月27日に予定されていた「よこすか開国花火大会」の中止が発表されました。台風25号による記録的な豪雨で、横須賀市内では死者1名・行方不明者2名を含む甚大な人的被害と、住家被害27件、土砂災害87件など計234件にのぼる被害が確認されており、市は災害対応を最優先とする判断から、順延なしでの中止を決定しています。このたびの災害により被害を受けられた横須賀市の皆様に、心よりお見舞い申し上げますとともに、行方不明となっている方々の一日も早い発見をお祈りいたします。
実はこの花火大会、昨年2025年も中止となっていました。理由は台風ではなく米連邦政府機関の封鎖で、同日開催のヨコスカフレンドシップデー(米海軍基地の開放イベント)が中止となり、代替の観覧場所を確保できなかったためです。二年続けての中止という巡り合わせを前に、星読み新聞では災害そのものを占うことはいたしません。今日は視点を変えて、この街が「開国」の号砲とともに歩んできた173年という歳月と、アメリカとの深い関係、そしてこれからの歩みを、数の物語を通して見つめたいと思います。


「YOKOSUKA」という地名そのものに宿る数を読み解く数秘術と、ペリー来航の1853年から巡る歳月を読み解く干支占いを通して、この軍港都市に刻まれた物語を鑑定します。
黒船から軍港へ。開国173年の横須賀
嘉永6年6月3日、西暦に換算すると1853年7月8日、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが率いる四隻の軍艦が浦賀沖に姿を現しました。いわゆる黒船来航です。ペリーは大統領の親書を携えて開国を要求し、翌1854年には日米和親条約が締結され、二百年以上続いた鎖国は終わりを迎えます。2003年、この来航150周年を記念して創設されたのが「よこすか開国祭」であり、今回中止となった花火大会はそのフィナーレを飾る催しでした。浦賀は、日本が海外へと扉を開いた場所そのものなのです。

開国から12年後の慶応元年(1865年)11月15日、幕府は浦賀の隣、横須賀の地に製鉄所の建設を始めます。計画を主導したのは勘定奉行・小栗上野介忠順、技術面を担ったのはフランス人技師レオンス・ヴェルニー。フランスのツーロン軍港を模範に設計されたこの造船所には日本初の石造ドライドックが築かれ、メートル法や西洋式の曜日・時刻管理、月給制度までもが日本に先駆けて導入されました。明治政府に引き継がれたのちは帝国海軍の拠点として発展し、1945年の敗戦後は米海軍が接収。現在は第7艦隊の前方展開拠点として、原子力空母の日本国外で唯一の母港となっているほか、海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊も置かれています。黒船が開いた扉の先に築かれたこの軍港都市は、今なお日米両国の海の玄関口であり続けているのです。

2026年4月1日時点の横須賀市の推計人口は363,912人、世帯数は166,264、面積は100.80平方キロメートルで、三浦半島の北半分を占めています。東は東京湾、西は相模湾に面し、市内には東京湾で唯一の自然島・猿島も含まれます。1907年2月15日の市制施行時、人口はわずか62,876人でした。百年余りをかけて6倍近くに膨らんだこの街は、軍港としての歴史を刻みながら、今も日米の絆を体現する場所として在り続けています。

数秘術の鑑定。「YOKOSUKA」に刻まれた開拓者の数
横須賀という地名を、数秘術で読み解いてみます。数秘術では、A=1、B=2と続くピタゴラス式の換算表を用いて、アルファベット表記の一文字一文字を数に置き換えます。「YOKOSUKA」をこの表に当てはめると、Y=7、O=6、K=2、O=6、S=1、U=3、K=2、A=1で合計28。さらに2+8=10、1+0=1と還元すると、たどり着くのは「1」という数です。数秘術において1は、物事の始まりを告げる開拓者の数、独立心とリーダーシップを象徴する数とされています。鎖国という長い眠りに「開国」という新しい扉を最初に開いたこの街の性格と、驚くほど重なります。
ペリーが浦賀に来航した1853年7月8日という日付も、数に置き換えてみましょう。1+8+5+3+7+8=32、3+2=5。5は数秘術において「自由・変化」を象徴する数とされ、鎖国から開国へという大きな変化を体現した来航の日らしい数字です。そして来航から2026年までに流れた歳月は173年。1+7+3=11。11は数秘術で1桁まで還元せず特別に扱う「マスターナンバー」で、使命感や直感、高い理想を象徴するとされています。還元しきれずに残り続けるこの数のように、横須賀という街に託された「日本の海の玄関口」という役割も、173年を経た今もなお、完結せずに続いているのかもしれません。

干支占いの鑑定。六十年ごとに巡る「癸丑」
干支占いの視点で、この街の歳月を眺めてみます。ペリーが浦賀に来航した1853年は、十二支でいえば丑年。今年2026年は午年にあたります。丑は巳酉丑のグループに、午は寅午戌のグループに属するため、干支占いでいう三合の間柄ではなく、正反対に位置する相冲の関係でもありません。特別な相性で結ばれているわけではないというのが、正直なところです。

けれども干支には、十干と組み合わせた六十通りの巡りもあります。1853年の干支は正式には「癸丑」。この六十干支がひと巡りして同じ組み合わせに戻るのは60年後で、還暦という言葉の由来もここにあります。1913年、1973年と、60年ごとに「癸丑」の年が巡ってきており、次にこの巡りが訪れるのは2033年。花火大会の中止が二年続いたこの街に、7年後、ペリー来航と同じ干支の年が巡ってくることになります。ちなみに昨年2025年は巳年、今年2026年は午年。午は夏を象徴し、行動力と華やかさを表す干支とされています。皮肉にも、その象徴であるはずの花火大会が二年続けて中止となりましたが、干支占いが示す「行動力」の気質を、これからの復旧への歩みに重ねて読みたいと思います。

むすび
二年続けて、夜空を彩るはずだった花火が消えました。けれども、黒船が扉を開いたこの街は、173年という歳月の中で幾度も姿を変えながら、日本とアメリカを結ぶ海の玄関口であり続けてきました。「YOKOSUKA」という地名に刻まれた開拓者の数「1」、来航の日に宿る変化の数「5」、そして173年という歳月がたどり着く、完結しないマスターナンバー「11」。数字たちが指し示すのは、この街の役割がまだ終わっていないということです。60年ごとに巡る干支のように、次の巡りが訪れる2033年までの7年間、横須賀がいつもの夜空と賑わいを取り戻していく歩みに、静かに思いを寄せています。

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※本記事の占術鑑定はエンターテインメントとしての読み物です。台風25号による被害の実態そのものを占うものではなく、被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げた上で、横須賀という街とその歴史に光を当てた記事です。被害状況および花火大会中止の情報は2026年9月時点で確認できた横須賀市・横須賀市観光協会の発表に基づくものであり、今後の続報により更新される可能性があります。数秘術の計算はアルファベット表記「YOKOSUKA」および西暦日付を用いたピタゴラス式換算表による算出値です。干支の計算は西暦年から機械的に導出した値であり、暦学上の正式な干支の切り替え(立春基準)とは異なる場合があります。
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moco’s 星読み新聞
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横浜中華街の占い師mocoによる個人鑑定。
数秘術、干支占いほか22種の占術で人生を紐解きます。

著者:moco
花火大会が二年続けて中止になったというニュースを見て、横須賀という街が背負ってきた歴史の重みを思いました。黒船来航から数えて173年、この街はずっと日本とアメリカを結ぶ場所であり続けています。「YOKOSUKA」という地名を数に置き換えたとき、還元しきれない11というマスターナンバーにたどり着いたことが、印象に残っています。役割を終えない街、というのは、なんだか横須賀らしいと感じました。一日も早く、いつもの夜空と賑わいが戻りますように。

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