1善隣門ぜんりんもん|中華街大通り西側
中華街のシンボルにして、すべての物語の起点。昭和30年(1955)に初めて建てられた牌楼で、門に掲げられた「中華街」の文字がこの街の名を定着させました。現在の門には「親仁善隣(隣人と親しみ仲良くする)」の扁額が掲げられ、日中友好と街の精神を今に伝えます。待ち合わせの定番も、記念撮影の定番もここです。
門の表と裏で扁額の文字が違います。くぐる前と、くぐって振り返った後、両方を見上げるのが正しい味わい方。
約500メートル四方に600を超える店がひしめく、世界有数のチャイナタウン。けれどこの街の本当の味わいは、料理の湯気の向こうにあります。風水で配された十基の門、百六十年祀られ続ける関帝廟、開港とともに歩んだ人々の物語。クリックで解説と連動する絵地図を手に、字引のさらに奥へご案内します。登録不要・無料でご覧いただけます。
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横浜中華街は「できた」のではなく「育った」街です。開港から百六十余年、震災と戦災を越えて受け継がれた歩みを、年表でたどります。
横浜開港。外国人居留地が置かれ、欧米商人とともに通訳・買弁・職人として多くの中国の人々が来浜しました。欧米人と日本人の間に立てる漢字の読み書きが、彼らの大きな力でした。
現在の関帝廟の起源となる小さな祠が祀られます。異国で暮らす人々の心の拠りどころは、街より先に生まれていました。
日清修好条規が結ばれ、清国人の居留が条約上も正式なものに。山下町一帯に中華会館や劇場が建ち、コミュニティが形を成していきます。
条約改正により居留地制度が廃止。この頃から「南京町」の名で呼ばれ、料理と商いの街として賑わいます。
関東大震災で街は壊滅し、多くの華僑が帰国・転出。それでも残った人々の手で、街は再び立ち上がりました。
横浜大空襲で再び焼失。戦後はいち早く食の街として復興し、日本人客を迎える「中華料理の街」への歩みを始めます。
初代・善隣門が建立され、門に掲げられた「中華街」の文字とともに、この名が広く定着しました。
現在の横浜関帝廟(四代目)が開廟。焼失のたびに再建を重ねた、街の信仰の中心です。
最大の牌楼・朝陽門が完成し、風水思想に基づく門の整備が結実します。
みなとみらい線が開通し、元町・中華街駅が開業。街の玄関が駅と直結しました。
横濱媽祖廟が開廟。関帝廟と並ぶ二つ目の廟が、街の東側に誕生しました。
中華街には10基の牌楼(ぱいろう)が立ち、それぞれに名と方位と願いが与えられています。門の意味を知ってくぐれば、同じ道が開運の参道に変わります。
中華街のシンボルにして、すべての物語の起点。昭和30年(1955)に初めて建てられた牌楼で、門に掲げられた「中華街」の文字がこの街の名を定着させました。現在の門には「親仁善隣(隣人と親しみ仲良くする)」の扁額が掲げられ、日中友好と街の精神を今に伝えます。待ち合わせの定番も、記念撮影の定番もここです。
門の表と裏で扁額の文字が違います。くぐる前と、くぐって振り返った後、両方を見上げるのが正しい味わい方。
朝日を迎える東の門。風水で東を守る聖獣青龍にちなみ、青を基調とします。平成15年(2003)完成の高さ約13.5メートルという最大級の牌楼で、元町・中華街駅から訪れる人を最初に迎える「日の出の門」。山下公園の海から昇る朝の気を、街へ導く役割を担います。
みなとみらい線で来たら、まずこの門を見上げてから入街を。早朝、人のいない朝陽門は別格の神々しさです。
南を守るのは、翼を広げた火の鳥朱雀。その名の通り朱塗りが鮮やかな門で、南門シルクロードの先、元町方面への出入口に立ちます。風水で南は火の気をつかさどる方位。厄を焼き祓い、幸運を招く門とされます。元町ショッピングストリートや山手の丘へ続く散歩の起点としても便利です。
中華街で食事をして元町へ抜けるなら、必ずこの門経由で。「厄を落として街を出る」という縁起の良い道順になります。
西の守護聖獣白虎にちなむ白い門。名の「延平」には平安が末永く延びるようにという祈りが込められています。夕陽を受け止める西の方位は、実りと収穫の方位でもあります。JR石川町駅側からの入口のひとつで、観光の喧騒が比較的少なく、地元の暮らしと街が溶け合う西門エリアの静けさも味わいどころです。
白い牌楼は夕暮れどきが最も美しい時間。西日に染まる延平門は、知る人の少ない写真の好機です。
北を守るのは、亀に蛇が絡む聖獣玄武。長寿と子孫繁栄の象徴です。北門通りの北側に立ち、横浜スタジアム・関内方面からの入口にあたります。四神の門の中では最も落ち着いた風情で、観光のメインルートから一歩外れるぶん、門そのものとじっくり向き合えます。
関内駅から歩いて玄武門から入ると、横浜公園(横浜スタジアム)経由の気持ちよい散歩道。野球観戦と中華街のはしごにも最適の門です。
関帝廟通りの東の入口に立つ門。西の地久門と一対で、中国の言葉「天長地久(天は長く、地は久しい)」から名を分け合っています。天地が永遠であるように、街と人の縁も永く続くように。この門から関帝廟通りへ入る道は、関帝廟への参道の趣きです。
天長門から地久門まで関帝廟通りを歩き通すと「天長地久」が完成します。ふたりで歩けば、縁が永く続くおまじないに。
関帝廟通りの西を締める、天長門との対の門。「地久」の名の通り、大地の恵みと商いの永続を願う門です。石川町駅から関帝廟へ参るときの入口で、この門をくぐった瞬間、通りの先に関帝廟の金色の屋根がちらりと見える構図は、中華街でも屈指の「予感に満ちた眺め」です。
石川町駅から来るなら、地久門から入って関帝廟に参拝し、天長門へ抜けるのが王道の参道歩き。門と門の間が、ひとつの物語になります。
中華街大通りと関帝廟通りを結ぶ市場通りの両端に、二基一対で立つ小ぶりな門。かつて市場があった通りの名残を今に伝えます。大きな牌楼の威容とはまた違う、提灯と看板がひしめく路地の賑わいを額縁のように切り取る門で、食べ歩きの人波が最も濃いのもこの通りです。
混雑を楽しむ通りと割り切って、両端の門を「くぐり比べ」ながら歩くのが一興。路地の奥に名店の入口が隠れています。
JR石川町駅の中華街口を出てすぐ、最初に現れる門。十基の中では最も簡素な造りですが、「ようこそ中華街へ」と最初に声をかけてくれる門として、JR派の旅人には馴染み深い存在です。ここから善隣門までの道は、だんだんと中華の色が濃くなっていく「序章」の楽しみがあります。
西陽門から善隣門へ歩く数分間は、街の色彩が変わっていくグラデーションの時間。急がずに看板の変化を眺めながらどうぞ。
料理の街である前に、ここは人々が暮らし、祈り、学んできた街。百六十年の信仰と記憶を宿す建造物を訪ねます。
祀られているのは『三国志』の英雄・関羽、すなわち関聖帝君。武人でありながら算盤の発明伝説を持つほど帳簿に明るく、何より「信義」を貫いた人として、商売の神様と崇められます。起源は文久2年(1862)、開港間もない頃に祀られた小さな祠。関東大震災、戦災、昭和61年(1986)の火災と三度の焼失を越え、現在の絢爛な廟は平成2年(1990)開廟の四代目です。極彩色の彫刻は中国・台湾の名工の手になるもの。屋根の上の龍まで、どうか見上げてください。
参拝は線香(有料)を求め、五つの香炉に順にお供えする作法。番号と祈りの対象が案内されているので、初めてでも迷いません。
祀られるのは海の女神媽祖(天后聖母)。実在したと伝わる宋代の娘・林黙が、海難から人々を救う神となった存在で、船乗りたちの守り神として中華圏の港町に必ず祀られてきました。平成18年(2006)、横浜開港の歴史に「海の神」を迎えるかたちで開廟。夜はライトアップされ、朱と金の楼閣が闇に浮かぶさまは中華街の夜景の白眉です。縁結びや安産の神としても親しまれています。
お参りの後は、おみくじ(有料)を。関帝廟が「商いと信義」、媽祖廟が「旅と縁」。二廟を参って願いを分けるのが通の作法です。
関帝廟通りの東寄りにある小さな公園。ここには幕末から明治にかけて「会芳楼」という劇場兼料理屋があり、芝居や宴で賑わう、いわば中華街の社交場の原点でした。公園の中国式の東屋「會芳亭」はその名を受け継ぐもの。昼は食べ歩きの休憩所、祭りの日には獅子舞や催しの舞台となり、百五十年前と同じ役割を果たし続けています。
食べ歩きの点心を會芳亭のベンチで。あなたが腰掛けたその場所が、明治の芝居小屋の客席だったと思うと、肉まんの味も変わります。
関帝廟の隣に建つ横浜中華学院は、明治31年(1898)に開かれた華僑学校大同学校の流れを汲む、日本有数の歴史を持つ華僑教育の場です。その設立を提唱したのが、後に辛亥革命を導く孫文でした。革命運動の時代、孫文はたびたび横浜に滞在し、華僑たちの支援を受けています。観光の喧騒のすぐ裏で、子どもたちの声が響く校舎。この街が「暮らしと教育の街」でもあることを教えてくれる場所です(校内は見学不可、外観のみ)。
関帝廟の参拝とあわせて外観を。祭りの日に演じられる獅子舞や龍舞の担い手には、この学び舎の卒業生たちも少なくありません。
600軒の中から、歴史と個性で選んだ8軒。「どこで食べるか」に迷ったら、まず暖簾の年輪を頼りにするのが中華街の歩き方です。
中華街大通りに堂々と構える、明治25年(1892)創業の広東料理の重鎮。南京町の時代から百三十年、震災も戦災も越えて暖簾を守ってきた、街の歴史の生き証人です。宮廷のような空間で供される端正な広東の味は、ハレの日の会食の定番。中華街の「格」を一度体験するなら、まずこの名前が挙がります。
記念日なら予約してコースを。昼の点心なら姉妹店の萬珍樓點心舗という選択肢もあり、気分と予算で使い分けられます。
昭和14年(1939)創業の格式ある老舗。豪奢な宴会の店として知られる一方、売店の中華まんじゅうは横浜手土産の最高峰のひとつに数えられます。ずっしりと重い餡、香り高い皮。贈答の箱を提げて帰る人の姿が、この店の信頼を何より物語ります。
食べ歩きの肉まんとは別物の「贈答の中華まん」をぜひ一度。冷めてから蒸し直しても風格が崩れません。
明治後期に食品商として始まり、やがて料理の名店へと育った広東の老舗。名物は店頭にも並ぶ焼味(シウメイ)、すなわち皮付き豚の焼き物やチャーシューです。甘く香ばしい蜜の照り、店先に吊られた焼き物の眺めは、広東の市場の空気をそのまま運んできたよう。レストランでも持ち帰りでも、この店の焼き物は裏切りません。
お土産は量り売りの焼き物を。家の白飯に載せて同發のタレを回しかければ、それだけで横浜の夜の続きです。
香港路の路地裏、昭和初期から続く小さな食堂。船員たちの胃袋を満たした歴史を店名に刻みます。手作りのシウマイと、とろけるまで煮込んだ牛バラ肉ごはんを目当てに、今日も開店前から行列が伸びます。「中華街で一軒だけ」と地元の食通に問えば、高い確率でこの名が返ってくる殿堂です。
少人数で開店前到着が基本戦術。注文は名物に絞って、相席の緊張ごと味わうのが流儀です。
中華街で「水餃子」と言えばこの店。もちもちの厚い皮の水餃子を、ココナッツ風味の白い特製だれでいただく独創の味は、初めての人を必ず驚かせ、二度目から癖にさせます。豪華宴席とは別路線の、山東家庭料理の素朴な底力。観光の定番コースに飽きた人が最後にたどり着く味です。
水餃子は一人前でもずっしり。炒め物一品と水餃子が黄金比です。特製だれは販売もあり、お土産の隠し玉になります。
昭和26年(1951)創業、日本に広東粥の文化を根付かせた専門店。生米から鶏や貝柱の出汁でことこと炊き上げる粥は、米が花のようにほどけて出汁と一体になった、滋味の極み。朝から行列ができる中華街の「朝ごはんの聖地」でもあります。飲んだ翌朝、胃を立て直したい朝、何でもない休日の朝。粥はすべてを受け止めてくれます。
初めてなら五目粥か海鮮粥を。揚げパン(油条)を浸して食べるのが現地流です。朝いちばんの回転が狙い目。
明治27年(1894)に精肉店として創業し、肉の目利きを活かして「ブタまん」を名物に育てた老舗。顔ほどもある大きなブタまんは、中華街の食べ歩き文化を代表する存在になりました。肉屋の矜持が詰まった餡のジューシーさは、行列の理由をひと口で納得させます。
湯気の立つ揚げたてならぬ蒸したてを、歩かず立ち止まって。山下町公園の會芳亭(第12番)まで運んで腰掛けて食べるのが上級者です。
一階は中国茶と茶器の店、二階は茶館。工夫茶の作法で何煎も淹れ直しながら、ゆっくりと時間をほどいていく中国茶の文化を、横浜に根付かせた草分けの店です。食べ歩きの喧騒から階段ひとつで切り離される二階の静けさは、中華街の「もうひとつの時間」。食後の一杯に、これほどふさわしい場所はありません。
茶葉は好みを伝えて店員さんに選んでもらうのが近道。家でも同じ茶が淹れられるよう、小さな茶器から始めるのがおすすめです。
中華街の一年は旧暦とともに巡ります。祭りの日に合わせて訪れれば、街は劇場に変わります。日程は旧暦基準で毎年動くため、お出かけ前に公式発表をご確認ください。
| 行事 | 時期の目安 | 見どころ |
|---|---|---|
| 春節(旧正月) | 1月下旬〜2月中旬 | 一年最大の祭り。カウントダウン、獅子舞が店々を祝って回る「採青」、祝舞パレードで街は熱気の渦に。 |
| 元宵節燈籠祭 | 春節から約15日後 | 旧正月を締めくくる燈籠の祭り。會芳亭周辺に灯がともる、しっとりと美しい夜。 |
| 媽祖誕 | 旧暦3月23日頃 | 海の女神・媽祖の誕生祭。神輿が街を巡行し、媽祖廟が一年で最も華やぐ日。 |
| 関帝誕 | 旧暦6月24日頃 | 関羽の誕生祭。関帝廟の祭礼と巡行は、街の信仰の深さを目の当たりにできる一日。 |
| 中秋節 | 9月〜10月頃 | 月餅の季節。老舗の売店に伝統の月餅が並び、贈答の文化が息づきます。 |
| 国慶節・双十節 | 10月1日/10月10日 | それぞれの祝日を祝う行事。二つの祝日があること自体が、この街が歩んだ歴史の証です。 |
所要 約2時間半
四神の門と二つの廟を一筆書きで。願い事は欲張ってかまいません。
所要 約3時間(昼食込み)
行列店は開店前到着が鉄則。食べ歩きは店先の案内に従い、歩きながらの飲食は控えめに。
所要 約2時間
本頁の歴史年表を読んでから歩くと、同じ道が時間旅行になります。
10基です。東西南北を守る朝陽門・延平門・朱雀門・玄武門の四神の門、シンボルの善隣門、関帝廟通り両端の天長門・地久門、市場通りの南北二基の市場通り門、JR石川町駅前の西陽門から成ります。東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武という風水の四神が方位ごとに配されています。
関帝廟は『三国志』の関羽(関聖帝君)を祀り、商売繁盛や信義のご利益で知られます。1862年起源で現在の建物は1990年開廟の四代目です。媽祖廟は海の女神・媽祖(天后聖母)を祀り、航海安全や縁結びの神様として2006年に開廟しました。二つの廟を合わせて参拝するのがおすすめです。
横浜関帝廟(1862年起源)、横濱媽祖廟、善隣門をはじめとする牌楼10基、幕末の劇場「会芳楼」の名を継ぐ山下町公園の會芳亭、孫文ゆかりの大同学校の流れを汲む横浜中華学院などがあります。本頁の絵地図と各解説で位置と由緒を確認できます。
幕末にこの一帯が「横浜新田」という田んぼで、居留地造成の際に畦道に沿って区画されたためです。その向きが偶然ほぼ東西南北に沿っていたことから、後に方位ごとの牌楼を配する風水の街づくりに活かされました。
みなとみらい線の元町・中華街駅(東側、朝陽門方面)とJR京浜東北・根岸線の石川町駅(西側、西陽門・善隣門方面)の二つが玄関口です。横浜駅からはみなとみらい線で約8分、JRで約7分が目安です。
旧暦の正月に合わせるため毎年変わり、おおむね1月下旬から2月中旬の間です。カウントダウンや獅子舞の「採青」、祝舞パレードなどが行われます。具体的な日程はその年の横浜中華街の公式発表をご確認ください。
歩きながらの飲食は人とぶつかりやすいため、店先や山下町公園など立ち止まれる場所でいただくのが安心です。ごみは買った店に返すか持ち帰るのが基本。行列店では少人数で並び、路地の小さな店には静かに入るのが「通」の作法です。
楽しめます。関帝廟や媽祖廟の参拝、老舗での長い昼食、悟空茶荘のような茶館での時間は、むしろ雨の日にこそ向いています。雨に濡れた石畳に提灯の灯りが映る夕暮れは、晴天では見られない中華街の美景です。
門をくぐるとき、人は少しだけ姿勢を正します。十の門を持つこの街は、だから十回、訪れる人の心を整えてくれる。食の歓びの奥にある、祈りと暮らしと百六十年の記憶。それを知ってから食べる一皿は、昨日までとは違う味がするはずです。よき道行きを。
── moco's 星読み新聞
姉妹頁:moco's 星読み新聞では「横浜の定点ライブカメラ」「横濱遊覧図」「横濱ホテル名鑑」「横濱ディープ案内」も公開中です。
中華街は、多くの歌に歌われてきた街でもあります。聞いてから歩くと、提灯の色が少し違って見えます。
この街をそのまま歌った矢沢永吉「チャイナタウン」をはじめ、山下公園へ抜けるならいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、元町を歩くならマルシア「ふりむけばヨコハマ」を。
再生リストは横浜(Elegance City)、そのほかのカバーはYouTubeチャンネルでご覧いただけます。
【ご利用にあたって】本頁の情報は2026年11月時点の編集部調べです。各店舗・施設の営業日時、拝観・参拝の受付、行事の開催日程(春節・媽祖誕・関帝誕など旧暦行事は毎年変動)は変更される場合があります。お出かけ前に横浜中華街および各店舗・廟の公式情報をご確認ください。絵地図はデフォルメした概念図であり、縮尺・位置関係は正確ではありません。掲載の名称は各店舗・施設・権利者に帰属します。