この記事でわかること
- 3085本の軌跡。張本勲さんの86年を紐解く|moco's 星読み新聞
- 広島の少年、火と水のあいだで
- 野球という光、浪商での挫折と恩師
- 右手の痛み、3085本の代償
- 封印を解いた日、姉の写真との再会
- 算命学の鑑定。日主「癸」、雨露の人が歩んだ長流水の道
- 数秘術の鑑定。マスターナンバー33が結ぶ、8月6日と5月28日
3085本の軌跡。張本勲さんの86年を紐解く|moco’s 星読み新聞
2026年9月9日、元プロ野球選手で野球解説者の張本勲さんが、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。日本プロ野球史上唯一の通算3085安打、唯一の500本塁打と300盗塁の同時達成。「安打製造機」の異名をとった昭和の大打者は、被爆者としての記憶を胸に秘めながら、バットを振り続けた人でもありました。
その生涯を、算命学と数秘術の二つのまなざしから、静かに読み解いてみます。
広島の少年、火と水のあいだで
張本勲さんは1940年6月19日、広島市段原に生まれました。
幼い日々は、苦難の連続でした。4歳の冬、土手で焚き火を囲んでいた際にバックしてきた車を避けようとして火の中に転落し、右手に大やけどを負います。薬指と小指の自由を失い、握力はほとんど残りませんでした。
そして5歳の夏、1945年8月6日。
爆心地から約2.3キロの段原で、張本さんは被爆しました。遊びに出ようと玄関先に立った瞬間、閃光が走り、爆音がとどろいた。母は息子に覆いかぶさり、背中にガラスの破片を受けました。小高い比治山の陰にあったことで、放射線の直射はかろうじて免れたといいます。
しかし、6歳上の姉、点子さんは戻ってきませんでした。山の頂上で勤労奉仕をしていた点子さんは、数日後、全身にやけどを負った姿で担架に乗せられて運ばれてきました。医者も薬もない。かすれた声で「熱いよ」「痛いよ」とうめく姉に、幼い張本さんはぶどうを搾って口に含ませました。「勲ちゃん、ありがとう」。それが、色白で背の高い自慢の姉の、最期の言葉でした。


この体験は、張本さんの心に生涯消えることのない傷を刻みました。原爆の記憶を思い出すことが怖くて、姉の形見も写真もすべて処分され、原爆の話は家族のあいだでも封印されたといいます。
段原の六畳一間のトタン屋根のバラック。母は広島駅前の闇市で臓物を売り、飲み屋を営んで家族を養いました。差別のなかで身を縮めるようにして暮らす日々。少年時代の張本さんを突き動かしていたのは、「腹いっぱい食べたい」「母に広い家を買ってあげたい」、その一心だったと語っています。
野球という光、浪商での挫折と恩師
野球に出会った張本さんは、やがて広島の強豪校への進学を志しますが、素行を理由に断られます。無名の松本商業定時制に進んだのち、甲子園への思いを捨てきれず、自ら大阪の浪商(現大体大浪商)に売り込みに行くという行動力を見せました。
しかし浪商でも、理不尽は続きました。暴力事件による対外試合禁止処分、部内でのいわれなき差別。甲子園出場が目前に迫りながら、ぬれぎぬで休部処分を受けたとき、張本さんは思い詰めたといいます。
そのとき、思いとどまらせたのが、同校の監督の言葉でした。「お前には野球がある。プロに入ってみろ」。この一言が、張本さんの人生を大きく変えることになります。
右手の痛み、3085本の代償
1959年、東映フライヤーズ(現日本ハム)に入団。しかし、右手の薬指と小指が不自由な状態でプロの世界を生き抜くことは、並大抵のことではありませんでした。
ここで運命的な出会いが訪れます。名打撃コーチ、松木謙治郎。松木の指導のもと、右手一本でのティー打撃を毎日500本から600本。手のひらのまめが潰れ、血が噴き出しても、包帯を巻いてさらに振り続けました。包帯が肉に食い込み、感覚がなくなると、今度は自転車のチューブで手を縛って振った。練習が終われば水道の水をかけながら肉に食い込んだ包帯を一枚一枚はがし、帰宅後にまた同じ鍛錬を繰り返したといいます。
その努力は、1年目から実を結びます。新人王。3年目の1961年には21歳で初の首位打者。4年目の1962年には球団初のリーグ優勝に貢献し、最優秀選手に選ばれました。
左右に鋭く打ち分ける広角打法。首位打者7回、16度のシーズン打率3割、9年連続打率3割。いずれも日本プロ野球の歴史に並ぶ者のない記録です。

1976年、36歳で巨人に移籍。王貞治さんとの打線は、前年最下位に沈んだ長嶋茂雄監督率いるチームをリーグ優勝へと導きました。

そして1980年5月28日、ロッテに移籍した張本さんは、川崎球場で山口高志投手から本塁打を放ち、日本プロ野球史上初にして唯一の通算3000安打を達成します。23年間の現役生活、引退の前日までバットを振り続けた人でした。
封印を解いた日、姉の写真との再会
現役引退後、張本さんはテレビの野球解説者として活躍し、歯に衣着せぬ論評で多くのファンに親しまれました。
しかし、被爆者であることは、長く公にしていませんでした。被爆者への差別を目の当たりにしてきたこと、毎年の健康診断で原爆症の発症におびえ続けたこと。バットを振り続けることで、あの日の記憶を心の片隅に追いやってきたのだと語っています。
転機は60歳を過ぎてから訪れました。テレビで若いタレントが、原爆の投下された場所を知らないと発言するのを見たとき、「これではいかん」と覚悟を決めたといいます。毎日新聞のコラムに「8月6日と9日は暦からなくしてほしい」と書いたところ、一人の小学生の少女から手紙が届きました。その手紙が、長年封印してきた口を開かせました。
「体験を語れるのは、我々の世代が最後なのだ」。
2014年には、原爆資料館を訪れ、69年ぶりに姉、点子さんの写真と再会したとも伝えられています。核兵器や戦争の愚かさを訴え続け、ロシアによるウクライナ侵攻の際にも厳しい口調でその姿勢を貫きました。

2026年7月にはサントリードリームマッチに出場し、8月にはテレビに出演。亡くなるわずか1か月前まで、野球と平和への思いを発信し続けていました。
算命学の鑑定。日主「癸」、雨露の人が歩んだ長流水の道
算命学では、生年月日の干支から、その人の本質や人生の流れを読み解きます。張本勲さんの命式は以下のとおりです(生時は非公開のため、年月日の三柱で鑑定します)。
年柱:庚辰(白蝋金) 月柱:壬午(楊柳木) 日柱:癸巳(長流水)
張本さんの日主、すなわち人生の核となる干は「癸(みずのと)」です。
癸は、十干のなかで最も静かな水。大河や滝のような壬(みずのえ)の激しさとは異なり、癸は雨露、霧、地中をゆっくりと染みわたる湧き水のような存在です。目に見えにくく、音もなく、しかし確実に大地を潤す。万物の生命を根底から支えるのが、この癸の水です。
一見穏やかなようでいて、癸の持つ最大の特質は「持続力」にあります。岩盤を打ち砕く力はなくとも、何年も何十年もかけて、一滴また一滴と石をすり減らしてゆく。23年間の現役生活で引退の前日まで素振りをやめなかった張本さんの姿は、まさにこの癸の本質そのものといえるでしょう。
そして、日柱の納音(干支の組み合わせから導かれる象意)は「長流水」。これは、源流から海に至るまで、途中どのような地形に阻まれようとも、決して流れを止めることのない大河を意味します。
注目すべきは、この「長流水」が、当サイトで以前に鑑定した大谷翔平選手(#45記事)の納音と一致することです。大谷選手の日主は壬(大河の水)、張本さんの日主は癸(雨露の水)。水の性質は異なりますが、二人の命式に刻まれた「長流水」という共通の音は、時代を超えて日本の野球史を彩る大打者たちの根底に、同じ「流れ続ける水」の精神が宿っていることを静かに示しています。
年柱の庚辰にも、深い意味が宿ります。庚は鋼鉄、辰は龍。「鋼の龍」の年に生まれた張本さんですが、年柱の納音は「白蝋金」。白蝋金とは、蝋燭の灯に宿る金のこと。華やかな輝きではなく、小さくとも確かに、暗闇を照らし続ける光です。幼少期に右手の自由を失い、原爆で姉を亡くし、差別のなかで育った少年が、やがて3085本という前人未到の光を灯すまでの道のりは、まさに白蝋金から鍛え上げられた鋼の意志の物語です。
年干の庚と日主の癸の関係は、算命学では「正印」にあたります。正印とは、学びの星。目上の存在や環境から深い教えを受け取る力を意味します。
松木謙治郎コーチとの出会い、思いとどまらせた浪商の監督の言葉、巨人での王貞治さんとの日々。張本さんの人生には、節目ごとに「正印」の恩師が現れ、その学びを受け止める器が癸の水のなかに備わっていました。

大運の流れ。人生の十年ごとの潮目
算命学では、人生を十年ごとの大きな運気の波、「大運」で読みます。張本さんの大運の推移は、人生の転機と深く重なります。
6歳から15歳:壬午の大運。壬(大河の水)と午(真夏の火)の組み合わせは、水と火がせめぎ合う激しい緊張を意味します。被爆、右手のやけど、差別、貧困。張本少年が経験した想像を絶する困難の時期と、命式が示す緊張の時期が重なります。
16歳から25歳:癸未の大運。ここで、大運の天干が自分自身の日主と同じ「癸」に戻ります。算命学では、大運に日主と同じ干が巡ってくることを「自分自身の季節が来た」と解釈します。浪商からプロへ。19歳で東映に入団し、新人王。21歳で初の首位打者。まさに、張本さんが張本さんとして花開き始めた時期でした。
26歳から35歳:甲申の大運。甲は十干の筆頭、大樹の象意を持つ干。若木が天に向かって枝葉を広げるように、東映の中心打者として全盛期を迎えます。
36歳から45歳:乙酉の大運。乙は花や草のしなやかさ。36歳で巨人に移籍し、王貞治さんとともに打線の中核を担います。40歳で3000安打達成、41歳で引退。しなやかに、しかし最後まで折れることなく咲き続けた花の季節でした。
66歳から75歳:戊子の大運。戊は大地、社会的な責務を象徴する干。そして子は水の根源。この大運のもとで、張本さんは被爆体験を初めて公に語り始めました。大地のように確かな使命感と、子(水)に立ち返る原点回帰。66歳という年齢で自らの過去と向き合い、次の世代へ語り継ぐという選択は、この大運の働きかけと深く響き合っています。
86歳:庚寅の大運が始まる年。庚は鋼鉄、寅は夜明け前の虎。新たな大運の入り口で、張本さんはこの世を去りました。
算命学では、大運が切り替わる時期は人生のもっとも大きな転換点とされます。86年の長い河を流れ続けた長流水が、ついに大海に注いだ瞬間でした。
数秘術の鑑定。マスターナンバー33が結ぶ、8月6日と5月28日
数秘術では、生年月日の数字をひとつずつ足し合わせ、導き出された数からその人の人生のテーマを読みます。
張本勲さんの生年月日 1940年6月19日。各桁を足し合わせると、1+9+4+0+6+1+9=30。さらに3+0=3。ライフパスナンバーは「3」です。
数秘術における3は、「表現」と「伝達」の数。内に秘めたものを言葉や行動を通じて外の世界に届ける使命を持つ数です。23年間のバットスイングで自らの存在を証明し続けた現役時代。そして引退後は「喝」の一言で茶の間に愛された解説者としての日々。晩年には被爆体験を語り部として伝え続けた姿。張本さんの人生は、まさに「3」が示す「伝える人」としての生涯でした。
誕生日の19日も、数秘術では特別な意味を持ちます。19は1+9=10、さらに1+0=1。最終数は「1」。1は「先駆者」「唯一の存在」を意味する数です。日本プロ野球史上唯一の3000安打達成者、唯一の500本塁打と300盗塁の同時達成者。「唯一」という言葉がこれほど似合う野球人は、他にいないでしょう。
そしてここに、この鑑定における最も重要な発見があります。
張本さんの人生を決定的に変えた二つの日付。1945年8月6日(被爆の日)と、1980年5月28日(3000安打達成の日)。この二つの日付の数秘を、それぞれ計算してみます。
1945年8月6日:1+9+4+5+8+6=33。 1980年5月28日:1+9+8+0+5+2+8=33。
どちらも「33」。数秘術で33は、11や22と並ぶ「マスターナンバー」と呼ばれる特別な数です。通常の一桁には還元せず、そのまま読みます。
33は「マスターティーチャー」、すなわち「大いなる教え手」の数。自らの経験を通じて、多くの人に深い気づきや学びを届ける使命を背負う数です。
人生でもっとも暗い日と、もっとも輝いた日。その両方に、同じマスターナンバー33が刻まれている。これは、5歳の夏に体験した地獄のような光景も、40歳の初夏に川崎球場で放った本塁打も、どちらもが「伝えるため」の経験であったことを示唆しています。
苦しみも栄光も、すべてが33の使命のもとにある。張本さんが晩年、被爆体験を語り始めたとき、その言葉が多くの人の胸に深く届いたのは、ライフパス3(表現者)としての生涯の集大成が、マスターティーチャー33の使命と重なった瞬間だったからかもしれません。
さらに、2026年9月9日、旅立ちの日の数秘は、2+0+2+6+9+9=28、2+8=10、1+0=1。誕生日数と同じ「1」です。先駆者として生まれ、先駆者として旅立った。最初の数と最後の数が「1」で結ばれていることは、張本さんの86年の人生が、一本の揺るぎない直線として貫かれていたことの静かな証です。
むすび。雨露は、大地に還る
算命学が示した癸の水は、目に見えない場所で、静かに万物を潤し続けます。長流水の納音が示した河の流れは、どのような岩に阻まれても、迂回し、削り、やがて海に至ります。

数秘術が浮かび上がらせた33の一致は、苦しみと栄光が一本の糸で結ばれていたことを教えてくれます。
右手に障害を負いながら3085本の安打を刻み、被爆の記憶を胸に秘めながらバットを振り続け、60歳を超えてなお語り部として次の世代に言葉を届けた86年。
張本勲さんの生涯は、昭和から令和へと続くこの国の記憶そのものです。段原の少年が流した涙も、川崎球場で響いた歓声も、すべてが長流水の一部として、これからも人々の心を静かに潤し続けることでしょう。
心からのご冥福をお祈りいたします。
あわせて読みたい
※本記事の占術鑑定はエンターテインメントとしての読み物であり、故人やご遺族に対する評価や判断を意図するものではありません。生時が非公開のため、年月日の三柱のみで鑑定しています。張本勲さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
#張本勲 #追悼 #算命学 #数秘術 #長流水 #3085安打 #被爆者 #広島 #安打製造機 #mocoの星読み新聞

著者:moco
張本勲さんの訃報に接し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。4歳での大やけど、5歳での被爆という深い苦難を抱えながら、通算3085安打という記録を積み重ねられた86年の歩みに、言葉には尽くせない重みを感じました。長流水の納音が示す、どのような岩に阻まれても迂回し、削り、やがて海に至る河の流れは、まさに張本さんが歩んでこられた道そのものであったように思います。安らかにお眠りください。
この記事で使われた占術をもっと深く知る


コメント